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究極以前のものの中に生きる [読書]

皆さんは日々の御言葉による養いをどのようにされていますか?

ルーテル教会の聖書日課は聖書通読用に配慮されているので、いつの間にか聖書全巻に触れることが出来ます。ルーテル教会の説教は福音書中心ですので、聖書全巻に触れるためには、聖書日課はとても大切な物です。

先週読んだ、ボンヘッファーの一日一章『主のよき力に守られて』の12月16日の部分には「究極のものと究極以前のもの」と題されて次の文章が紹介されていました。以下p.618からの抜粋です。





  「ところで僕は、いつも旧約聖書的に考え、感じているように思う。
   過去数ヶ月の間は、新約聖書より旧約聖書の方を多く読んでいるほどだ。
   神の名を口にすべきでないことを知っている時にのみ、
             イエス・キリストの名を口にすることが許される。 ……

   あまりに性急に、また直接的に、新約聖書的に振舞おうとし、
   感じようとする者は、僕の考えでは、決してキリスト者ではない。

   究極の言葉を、究極以前の言葉をさしおいて語ることはできないし、
   許されない。

   僕たちは究極以前のものの中に生きて、究極のものを信じている
   のではないであろうか。」

礼拝の説教において、福音書のメッセージが鮮やかに福音として描き出され、受けとられる
ためには、律法が語られなければなりません。
赦されるためには、裁かれなければなりません。
新しく生かされるためには、死ななければなりません。

そのためにも、聖書を旧新約通じて繰り返し通読することが何よりも大切だと思うのです。


『アンパンマンの遺書』を読んで [読書]

大分市の図書館から、アンパンマンの作者「やなせたかし」さんの自叙伝である『アンパンマンの遺書』を借りてきて読みました。





やなせさんは、戦争を体験する中で、絶対的な「正義」というものはないのだということを悟ったそうです。なぜなら、戦争をする両者ともに大義名分を振りかざし、敗戦後にはそれをすぐにひっくり返す。そのような正義は嘘だと感じたそうです。

そして、その戦争体験で、これだけは真実だと感じたのが「食べること」の大切さだと語ります。敵味方、勝者敗者関係なく「食べること」「食べさせること」こそが生きることに必要だと実感したからです。

その経験が、アンパンマンをして自分の顔を困っている人に食べさせるというキャラクターを生んだのです。

アンパンマンの絵本の後書きに、やなせさん自身が書いた文章があります。



 「……子ども達とおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが
  大好きなのですが、いつもふしぎに思うのは、大格闘しても着て
  いるものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっている
  のか良く分からないということです。

  本当の正義というものは、決してかっこいいものではないし、
  そして、そのために必ず自分も深く傷つくものです。
  そしてそういう捨て身、献身の心なくして正義は行えません。……」

やなせさんはクリスチャンだとお聞きしましたが、苦難の僕である主イエスの姿がアンパンマンに重なって見えてきそうですね。(^^)

11月に読んだ本 [読書]

11月は3週連続説教の準備などもあって、余り本を読めませんでした。

そんなこと言ってたら、毎週説教するようになったら、どうするんだ!という自分の内なる声も聞こえて来ますが……(^_^;

11月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1353ページ
ナイス数:8ナイス



愛と自由のことば 一日一章愛と自由のことば 一日一章
古今東西(と言っても編者による偏りがあるが)の説教者、神学者、文学者等の文章や詩を紹介。初めて知った人。この人がこんな言葉を、といった驚きと感動が毎頁現れてくる。数ある「一日一章」の中でもお勧め。久しく絶版になっていたものの再版なので、興味のある方は早めに入手されますように。
読了日:11月30日 著者:

「十字架の神学」をめぐって: 講演集 (新教新書)「十字架の神学」をめぐって: 講演集 (新教新書)
講演集なので、重複が多いのが気になったが、それだけ著者の問題点が明確だとも言える。ルーテル教会の先生方ももっと活躍して欲しいですね。。。
読了日:11月20日 著者:青野 太潮

説教による教会形成 (説教塾ブックレット 10)説教による教会形成 (説教塾ブックレット 10)
説教によって教会形成が可能かを問う。現実の教会が抱えている問題を見据えつつ、容赦のない議論が交わされる。答えは自分自身で見つけ出していくしかないのだろう。
読了日:11月17日 著者:小泉 健

感動ものがたり―魂をゆさぶった人たち感動ものがたり―魂をゆさぶった人たち
著者のライフワークである讃美歌に関係の深い信仰者の話や、映画や文学者、医師など多彩な切り口で興味ある物語を展開してくれる。説教の小ネタに使えるエピソード満載。
読了日:11月16日 著者:大塚 野百合

クリスマスの黙想―新しい始まりを祝うクリスマスの黙想―新しい始まりを祝う
待降節から顕現節までの50のシンボルを通しての黙想集。とても霊的でありこの期節に相応しいもの。特に前半の黙想には多くのことを感じた。
読了日:11月12日 著者:アンゼルム グリューン

子どもが落ち着ける7つのポイント―保育の環境づくり (ei Book)子どもが落ち着ける7つのポイント―保育の環境づくり (ei Book)
薄い本だが、内容は濃い。保育者向けではあるが、牧会者に必要な多くの示唆を与えて頂いた。お勧め!
読了日:11月05日 著者:岩城 敏之



2011年11月の読書メーターまとめ詳細

読書メーター

内村鑑三の好きな秋の花 [読書]

先ほど紫の典礼色のことについて書いていて、思い出しました。
内村鑑三は、秋の花としては紫りんどうが好きだと、彼の著書の中で語っていました。

と言っても、昔から好きだった訳では無く、内村の愛唱していた米国詩人William Cullen Bryantの「紫りんどうに贈る Blue blue as if that sky let fall」に共感する出来事を、経験してからだと語ります。

下の訳文は、内村自身が訳出したものです。彼の共感がいかに大きいものであったが伝わるような見事な訳文だと思います。




汝、秋の露をもって輝く花よ、
空天(そら)の色をもって彩飾(いろどら)れて、
汝は皮膚(はだえ)にしみわたる寒き夜に、
静かなる日が次いで来る時に開く。

汝はすみれが小川と泉の辺(ほとり)に、
首(こうべ)を垂れる時に来たらず、
又おだまきが紫衣を着て、
巣鳥の床によりかかるときに開かず。

汝は待つこと遅くして、独り来る、
林は枯れて鳥は飛び去り、
霜と短き秋の日とが、
冬の近きを告ぐる時に来る。

その時汝の優さしき静かなる眼は、
紫の袖をかざして空天(そら)を望む、
その蒼(あお)きこと、あたかも蒼き空天が、
その天井(てんじょう)より花を落せしが如し。

余は望む余も汝の如くに、
死の期(とき)が余に近づく時に、
希望は余の心の中に咲いて、
世を逝(さ)りつつも天を望まんことを



そして、内村はさらにこう記しています。

「余がこの詩を読んでから一カ年の後であった。晩秋の頃・・・甲武鉄道、中野ステーションに近き楢林の中において余は計らずも枯葉の中に、余のかねてより敬慕せる余の秋の友人なる紫りんどうに遭遇した。余は暫時の間、彼の育成の地において彼を見詰めた。余はあまりに慕わしくして、彼に手を触れえなんだ、余は即座にブライアントのことばを原語のままにて唱えた、

Blue-blue-as if that sky let fall, その蒼きこと恰かも蒼き空天が
A flower from its cerulean wall. その天上より花を落せしが如し

余は彼と別るるに忍び得なんだ、しかしまた来ん秋を楽しんで彼を林中に遺し去った……紫りんどう! 彼が余の愛する秋の花である。山茶花ではない、菊ではない、彼らは余の死ぬ時には何の慰藉にもならない、彼らは現世の栄誉に止まる、彼らは天国の希望を供する者ではない、謙遜にして柔和なる春の花なるオダマキに対する堅忍不抜なる希望を伝うる秋の花なる紫りんどうである、この雌雄ありて人生は悲哀ばかりではない、我らは彼らを友として喜びながらこの涙の谷をとおることができる。」

ここまで読まれれば、内村が好きだった春の花が「おだまき」であったことが分かりますね。(^^)

牧会者ルターのことばから [読書]

先日(11/20)の聖霊降臨後最終主日から、待降節第1、第2と三週連続で説教をする機会を与えられています。

準備は大変ですが、連続で説教することの楽しさも味わっている所です。
説教では触れられなかったのですが、黙想をする中で牧会者ルターの言葉がいくつか響いていきました。それを幾つかご紹介いたします。

引用は全て、『ルターの慰めと励ましの手紙』 からです。





聖句としてはマタイ25:45の箇所です。

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。
   この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」

ルターは、 選帝侯宛の病床見舞いの手紙の中で、次のように語ります。
   「キリストがあなたの内で苦しんでいることを知る」 

 また、ペストの恐怖の中で書かれたシュパラッティン宛では、
   「もし、あなたがキリストに奉仕し、仕えようと願うなら、
    見よ、あなたの前に病気の隣人がいるのです。
    彼の所へ行き、奉仕しなさい。
    そうすれば、あなたは確かに彼の中にキリストを見出すでしょう。
    それはその人においてではなく、み言葉において起こるのです。」
と語ります。

更にルター自身も、自らの説教職への責任について、次のように語ります。
   「私達は皆、自分の命を隣人のために捨てるように義務づけられているのです。
    あなた方の牧師または説教代理者として、私は説教壇に拘束されています。
    100のペストも私を引き離すことはできません。」

ここに説教者であり牧会者としてのルターの姿勢がハッキリ示されています。

牧会者として生きるということは、このような覚悟に身を置いて生きることなのだと思わされています。

11/20の説教は下記にアップしてありますので、どうぞご覧下さい。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/ayutaro/Message_List.html


受身 -負ける練習- [読書]

何やかやと気持ちの落ち着かない日々を過ごしておりました。

先日、平和園から借りてきた相田みつをの詩集を読んでおりましたら、『受身 -負ける練習-』という詩に惹きつけられ、この二週間ずっと考えていました。

私も確かに若い時分は、受身の練習をしていたような気がしますが、いつからか勝つことしか考えなくなっていたような気がします。社会の中で、会社の中で生きていくと言うことは、勝ち続けることだと思っていたような気がします。

しかし、献身を志し、牧会者としての訓練を積んでいく中で、大切なのはここで語られているような負ける練習ではないかと感じています。牧会者とは、受身の達人であり、ヘンリ・ナウエンの語る『傷ついた癒し人』なのだと、今改めて知らされているところです。



上の書は全体の抜粋なので、全文を下に掲載致します。



  柔道の基本は受身
  受身とは投げ飛ばされる練習
  人の前で叩きつけられる練習
  人の前でころぶ練習
  人の前で負ける練習です。

  つまり、人の前で失敗をしたり 恥をさらす練習です。
  自分のカッコの悪さを多くの人の前で
  ぶざまにさらけ出す練習
  それが受身です。

  柔道の基本では
  カッコよく勝つことを教えない
  素直にころぶことを教える 
  いさぎよく負けることを教える

  長い人生には
  カッコよく勝つことよりも
  ぶざまに負けたり
  だらしなく恥をさらすことのほうが はるかに多いからです。

  だから柔道では 始めに負け方を教える
  しかも、本腰を入れて 負けることを教える

  その代り
  ころんでもすぐ起き上がる 負けてもすぐ立ち直る
  それが受身の極意
  極意が身につけば達人だ

  若者よ 失敗を気にするな
  負けるときにはさらりと負けるがいい
  口惜しいときには「こんちくしょう!!」
  と、正直に叫ぶがいい 弁解なんか一切するな
  泣きたいときには 思いきり泣くがいい
  やせ我慢などすることはない

  その代り
  スカッーと泣いて ケロリと止めるんだ
  早くから勝つことを覚えるな
  負けることをうんと学べ 恥をさらすことにうまくなれ
  そして下積みや下働きの 苦しみをたっぷり体験することだ
  体験したものは身につく
  身についたものー それはほんものだ

  若者よ
  頭と体のやわらかいうちに 受身をうんと習っておけ
  受身さえ身につけておけば
  何回失敗しても
  すぐ立ち直ることができるから・・・・・・

  そして
  負け方や受身の ほんとうに身についた人間が
  世の中の悲しみや苦しみに耐えて
  ひと(他人)の胸の痛みを 心の底から理解できる
  やさしい暖かい人間になれるんです。

  そういう悲しみに耐えた 暖かいこころの人間のことを
  観音さま、仏さま、と 呼ぶんです。

目と耳が一致する大切さ [読書]

今日の大分、別府は小雨模様。
今日も別府平和園の教会学校に参加し、先ほど戻って来ました。

平和園の蔵書の中から、下記の本を借りて読んだのですが、100頁もない薄い本ですが、内容は濃い良書でした。



特に、心惹かれたのが「ポイント5 心休まる音の世界」という章です。

ここでは、マイクやスピーカーを通さない肉声の大切さを語っています。
目も耳も二つずつあるわけですが、それによって遠近感や方向性を識別して、声のする方向へ注意をすますことが出来ます。しかし、スピーカーを通すと、声のする方と声を出している人が分離してしまい、特に子供達は集中出来ないというのです。
このことを著者は
  「集中するということは、まず目を向ける、耳を向ける、そして気持ちを向けることなのです。
   すごい主体的な活動なんです。それを機会の音は妨げてしまうのです。」
と語っています。


そして、この章の最後では、
  「言葉は特にコミュニケーションの道具ですから、子どもに話す時の基本は、目を見て話すことです。
   言葉は目から入って、心に落ち、身体が動くという順番で伝えたいものです。
   子どもの頭の上から、目も合わせない状態で、誰に話しかけられているかわからない
   言葉のまきちらしはさけたものですね。」
とまとめておられます。

いやあ、「言葉は目から入って、心に落ちて」というのは目から鱗のような言葉でした。


教会の礼拝、特に説教なども同様だと思います。やはり、声が届く会堂であれば、マイクなしでやれるのが一番ですね。

今の時代は、何か一つのことに集中する、ということが困難な時代だと思います。

昔、「ながら族」という言葉が流行りましたが、今は殆ど皆が複数のことをしながら生活しています。
携帯やインターネットは生活を便利にしてくれましたが、反面、何かに追い立てられるようにいつも情報の洪水にさらされることにもなりました。久しぶりに会った友人との会話中も、メールが入ればそちらを優先。何かがおかしくなっているような気がします。


10月に読んだ本 [読書]

11月になりました。

昨日は、日田の幼稚園の収穫感謝礼拝、園舎改築工事の上棟式が午前中に行われ、昼過ぎ大分に大急ぎで戻り、宣教研修の中間評価会のために来分された江藤神学校校長との面接、15時からは10/31朝に天に召された教会員の方の納棺、夕方から前夜式、その後に中間評価会、懇親会と一日中大忙しで、少々バテ気味です。それでも今日はこれから告別式も控えていますので、頑張りたいと思います。

月が変わりましたので、先月読んだ本のまとめです。説教関係が11冊中7冊と多かったのが特徴でしょうか。どれも感銘深かったですが、特に大村勇牧師の説教集と徳善先生の訳された『時を刻んだ説教』に多くを学んだ気がします。この本には、4世紀のクリュソストモスから20世紀のドロテー・ゼレまでの16の説教が紹介されています。特徴としては、説教本文だけでなく、その説教の分析、説教が語られた状況、説教者自身の説明が各々付されている点です。そのことを知ることで、文字となった説教だけでなく、語られた当時の状況を彷彿とさせてくれます。説教はライブであることを思わされますね。タイトルの『時を刻んだ説教』というのも、その説教がいかにその時代を動かす力を持っていたかということを表しています。

変わったところでは、あのミステリーの名手アガサ・クリスティが著したクリスマス短編集。さらっと読み過ごしてしまいそうですが、なかなか深いです。

10月の読書メーター
読んだ本の数:11冊
読んだページ数:2427ページ
ナイス数:7ナイス

時を刻んだ説教―クリュソストモスからドロテー・ゼレまで時を刻んだ説教―クリュソストモスからドロテー・ゼレまで
訳者の徳善先生からゲラを見せて頂いていたこともあり、心待ちにしていた本。説教者と聴衆が置かれているSitz im Leben。説教の持つ力を改めて味わい知ることが出来る一冊。説教本文だけでなく、歴史的背景や人物の解説が丁寧になされており、説教分析の意味でも大変参考になった。
読了日:10月31日 著者:ミヒャエル・ハイメル,クリスティアン・メラー

日本の説教 (2-7) (日本の説教 2-7)日本の説教 (2-7) (日本の説教 2-7)
派手さはないが、とにかく良い。染み込んでくるような語り口。このような説教が語りたい。
読了日:10月29日 著者:大村 勇

「母」をなくした日本人―希望としての「母」の発見「母」をなくした日本人―希望としての「母」の発見
読了日:10月29日 著者:東山 弘子,渡辺 寛

島村亀鶴 (日本の説教2)島村亀鶴 (日本の説教2)
渡辺善太にも似ているが、独特な語り口で引き込まれる魅力がある。庶民的な「純和風の説教」の中に、堅いキリスト信仰が感じられる。
読了日:10月24日 著者:島村 亀鶴,新堀 邦司

ベツレヘムの星 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)ベツレヘムの星 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサの珠玉のクリスマス短編集。「ベツレヘムの星」がやはり秀逸。
読了日:10月23日 著者:アガサ・クリスティー

子どもの心が見える本 -再びエリクソンの学ぶ-子どもの心が見える本 -再びエリクソンの学ぶ-
小冊子ながら、人間の成長段階に合わせたエリクソンの洞察が、分かりやすく説明されている。佐々木先生ならではの豊かな内容。
読了日:10月22日 著者:佐々木正美

日本の説教 (5) (日本の説教 5)日本の説教 (5) (日本の説教 5)
「さびるよりは、すり減る方がよい」とは、山室軍平の生涯を貫く信条だったそうである。新島を慕って同志社に入り、植村や内村と親交を深めつつも、民衆伝道と社会改良に身を挺した山室ならではの、血の通った説教である。
読了日:10月22日 著者:山室 軍平

羽仁もと子 (日本の説教)羽仁もと子 (日本の説教)
「婦人の友」創刊者及び「自由学園」創設者として知られる著者。自由学園で語られた「お話し」であるが、このシリーズに収められていることからも分かるように説教と言いうる内容である。
読了日:10月20日 著者:羽仁 もと子

どの宗教が役に立つか (新潮選書)どの宗教が役に立つか (新潮選書)
堅苦しい比較宗教学ではなく、宗教の本質的な勘所を軽妙に語っている。面白い。
読了日:10月18日 著者:ひろ さちや

福田正俊 (日本の説教2)福田正俊 (日本の説教2)
高倉徳太郎の後を継いで、信濃町教会を2回に亘って牧会した福田。自身「説教だけは一回も力をぬくことがなかった」と語るだけに、誠実真摯である。感銘。
読了日:10月03日 著者:福田 正俊

CDで聴く日本の説教榎本保郎[CD]CDで聴く日本の説教榎本保郎[CD]
世光教会及び今治教会での決別説教二編とアシュラムセンターでの3分間メッセージ。久しぶりに力強い榎本節を聴くことが出来て、励まされる思い。
読了日:10月01日 著者:



2011年10月の読書メーターまとめ詳細

読書メーター

癒やしと絆 [読書]

小児精神医の佐々木正美先生の本を読んでいて、次の一文に目がとまりました。

「我々は癒すことができないから疲れを感じるのです。ストレスを感じるのも人間関係ですが、ストレスを癒すのも人間関係です。一人になってほっとして落ち着くということはあります。それは、それ以上ストレスを大きくしないということには役立ちますが、本当の癒やしにはならないのです。本当の癒やしは人間関係の中にあるのです。」(『子どもの心が見える本』 pp.45~46 子育て協会)

これを読んで、先月読んだ奥田知志先生の文章が思い起こされました。
「『みことば』、すなわち聖書の一言一言は、神のモノローグ(独り言)ではない。……中略……。『みことば』は、私に語りかけられた生ける神の言葉であり、神と人との『絆』なのだ。ホームを失った者たちを絆(ホーム)へと招く神の言葉、それが『みことば』なのだ。」(『もう、ひとりにさせない』p.40 いのちのことば社)

奥田先生は、北九州でホームレス支援を行っている牧師先生ですが、路上生活者でなくても、家(ハウス)があっても寄る辺(ホーム)ないという意味でホームレスの方が大勢いる実情を憂えていらっしゃいます。

私達は、「山嵐のジレンマ」を抱えながら生きています。しかし、佐々木先生が語られるように、私達の本当の癒やしは人間関係からしかこないのです。この人間関係とは人格関係と言い換えることが許されましょう。それは奥田先生の語る「絆」という言葉に表されているような気がするのです。

神とのこの「絆」を失った人間に語られる招きの言葉、それが「みことば」であり、教会に託された説教です。そのことを思うと、身が引き締まる思いが致します。


9月に読んだ本 [読書]

9月は注解書等を除いて下記の10冊を読みました。

先月に引き続き『日本の説教』シリーズから4冊。それから児童養護施設の状況を理解するために子どもの虐待とそれがどのように発達障害と関係しているかについての本。ホームレス支援に長年関わってこられた奥田知志先生の本と、良い本との出会いも与えられた一月でした。
     
これから読もうとしている本で、一番わくわくしているのは、今日届いた『時を刻んだ説教』というクリュソストモスからドロテー・ゼレまで1600年に及ぶ説教者達の説教16篇を収めた本です。ゲラの段階から訳者の徳善義和先生にお聞きしていたものなので、早く読みたいと思っていた一冊でした。秋の夜長に、時間をかけてじっくりと味わいたいと思います。
       
 



9月の読書メーター
読んだ本の数:10冊
読んだページ数:2316ページ
ナイス数:7ナイス

 もう、ひとりにさせないもう、ひとりにさせない
推薦の辞で関田先生が書かれているが、本書は正にホームレスの人々との関わりによって生まれた「絆の神学」に溢れている。著者である奥田先生が、ルター神学に影響を受けていること(ボンヘッファーも含め)に意を強くする思いだった。
読了日:09月26日 著者:奥田知志

子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)
虐待と発達障害の関係を臨床医の立場から検証。行政の対応が縦割りでは根本的な解決にならないことがよく分かる。根が深い深刻な問題であることを再認識。
読了日:09月21日 著者:杉山 登志郎

高倉徳太郎 (日本の説教)高倉徳太郎 (日本の説教)
神の言への応答が厳しく求められる説教。現代の教会でこのような説教が語られ得るか。
読了日:09月21日 著者:高倉 徳太郎,池田 伯

ルイス・デ・アルメイダ (聖母文庫)ルイス・デ・アルメイダ (聖母文庫)
なぜ外科医として嘱望されたアルメイダが、貿易商へと転じ、更に宣教の道へと進むことになったのかが良く理解出来た。
読了日:09月16日 著者:森本 繁

日本の説教 (9) (日本の説教 9)日本の説教 (9) (日本の説教 9)
まるで講談のような語り口。しかし、その洒脱な語りの中にしっかりした信仰の確信がみなぎっている。
読了日:09月14日 著者:渡辺 善太

シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり (岩波ジュニア新書)シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり (岩波ジュニア新書)
読了日:09月11日 著者:畑谷 史代

植村環 (日本の説教)植村環 (日本の説教)
読了日:09月09日 著者:植村 環

武藤健 (日本の説教)武藤健 (日本の説教)
哲学と倫理学を修めた著者が、後年に献身し神学校教師・牧師として働かれた。広い学識に裏付けされながらも自分自身の言葉で福音を力強く語るその説教には、自らの深い信仰体験がある。
読了日:09月07日 著者:武藤 健,赤星 進

日本の名随筆 (13) 心日本の名随筆 (13) 心
「心」をテーマに遠藤周作が編んだもの。梅原猛の「親鸞について」、平田精耕「禅と身心一如」、石原吉郎「ノオトから」、遠藤周作「人間のなかのX」などが心に残った。
読了日:09月02日 著者:

いのちの初夜 (人間愛叢書)いのちの初夜 (人間愛叢書)
読了日:09月01日 著者:北條民雄
 

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