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我が家のサンタさん [雑記]

いよいよクリスマス・イブを迎えました。
皆さんも今日明日と、お近くの教会に是非足をお運び下さい。
ところで、我が家のサンタさんにこっそりと連絡をとったところ、まだ準備が出来ていないことが発覚しました!
娘達は、今頃になってのんきにサンタさんにお手紙を書いているそうです。
このピンチを乗り切るのはAmazonのお急ぎ便しかない……(@@;)
どうか、我が家にもサンタさんが無事に来てくれますように。
皆さんも良きクリスマスをお迎え下さい。

甘いクリスマス [雑記]

レバノンのパティシエが、等身大のキリストの降誕場面を、12万個のウィスキーボンボンを使って制作したそうです。37人で720時間かかったといいますから、約一月近くを要したことになりますね。
いやあ、でもなぜレバノンなのか? そんなにキリスト教徒が多い国とは思えないのですが……
ところで、私も昨日、スイーツのプレゼントを頂戴しました。
毎日一つずつ味わいながら、クリスマスの日々を過ごしたいと思います。(^^)
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ローマ法王のクリスマスツリー点灯 [雑記]

ちょっと古いニュースですみません。
TwitterではiPadを使用していたローマ法王。今度はソニー製タブレットPCで「世界最大のクリスマスツリー」に点灯というニュースです。ソニーの卒業生としてはちょっと嬉しいニュースでした(^^)
しかし、科学技術を目の敵にしていた第1バチカン公会議後のカトリックでは考えられなかった姿ですね。
IT技術も神様からの賜物として、正しく用いていきたいものです。

「神の粒子」 [雑記]

「神の粒子」と呼ばれるヒッグス粒子発見の可能性についての記事です。
なぜ「神の粒子」と呼ばれているかといえば、物質に質量を与える鍵が隠されていると考えられているからです。質量を持つことで人間も含め万物は存在することから、この鍵を解くことが神の領域への一歩と科学者たちは考えているようです。
宇宙の誕生が偶然の産物ではなく、神の御業によるものだということが明らかにされるかもしれませんね。

「嘆きの壁」の完成時期に関する最近の発見 [雑記]

考古学の発見は、二千年の時空を超えて、色々なことを教えてくれますね。
今回は発見された貨幣が、「嘆きの壁」の完成時期の定説を覆す証拠となりそうです。
「嘆きの壁」は1990年に聖地旅行した時に行きましたが、ガイドの方から定説通りの説明を受けた記憶があります。また機会をつくって是非、聖地旅行をしたいと思いました。(^_^)

ベネトンのUNHATE (反・憎悪)キャンペーン [雑記]

いやー、さすがベネトンですね。
「UNHATE (反・憎悪)」という造語まで造ってのキャンペーンです。
以前から話題性のある広告を出していましたが、これまたインパクトのある構図ですね。
しかし、男性同士のキスというのも問題あるし、せめてハグか肩を抱く程度であればっていう気もしますが……
それでもある意味、ベネトンの意図は的中したのでしょうね。
でも、改めてこういう合成写真を見ると、何でも意図的に改竄される危険性を感じますね。
個人の肖像権の問題を含め、このベネトン事件はおとがめなしですむのか気になる所です。

石川啄木と尾崎豊 「十五歳の原点」 [雑記]

以前の記事で、石川啄木と尾崎豊のことを書いたことがありました。

先日、TVの番組でたまたま「十五歳の原点 ~啄木・尾崎 空を求めた天才詩人~」という番組があり、録画で見てみました。
これは岩手朝日テレビの開局15周年記念の特別番組だったようです。

この番組を通して改めて知ったのは、二人とも十五歳の時に、彼らの詩作の原点があったということです。
また、啄木は中学を、尾崎は高校を卒業直前に共に退学していることも知りました。

十五の時の二人の心境を歌ったのが以下の歌です。

啄木 「 不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸われし 十五の心」

尾崎 「 誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした15の夜」

尾崎は父の影響を受けて小学校の頃に短歌に触れ始めています。そこで学んだのが、正直で虚飾のない言葉の大切さということでした。その精神は彼の詩作活動の原点となったとともに、売れっ子になるにつれ増大する自分の虚像とのギャップに苦しむことになっていったのでしょう。

啄木も、小説家として自らを売りこうもとして失敗。自らの飾らない赤裸々な本心をつづった短歌が、彼の死後、多くの人々の共感を得ることになったのは、人生の皮肉でもあります。

啄木が16歳の時に、「明星」に最初に掲載された短歌が次の歌です。
  「血に染めし歌を わが世のなごりにてさすらい ここに野にさけぶ秋」

自分に正直であればあるほど、自分の限界、弱さ、醜さ、闇に文学者達は行き当たってしまいます。そこに対峙し続けるのは大きな苦しみであったに違いありません。啄木は違いますが、文学者の多くが自死を選ぶのも、そのためではないかと思うのです。

このような自分の限界、弱さ、醜さ、闇を見つめながらも、しかし、そこに希望を与えて下さるのが、キリストの十字架だと思います。敗北、恥辱、絶望の象徴である十字架こそが、逆に勝利であり栄光であり希望として私達に与えられているのだと思うのです。

 


パレスチナが世界遺産登録申請へ [雑記]

記事にあるように、パレスチナがユネスコに正式加盟国となり、世界遺産登録申請が可能となりました。

ご存じののようにパレスチナはイスラエルと共に、キリスト教の聖地であり、世界遺産の宝庫でもあります。
また、数多くの遺跡や場所が世界遺産に登録されることで、世界世論がこれまで以上にパレスチナを擁護し、イスラエルとの緊張緩和へと向かってくれればと祈ります。
更に両者の間に造られたアパルトヘイト(分離壁)が一日も早くベルリンの壁のように崩壊するように切に願います。

米最富裕層の所得拡大 [雑記]

アメリカの所得格差が更に拡大したという記事です。
しかし最富裕層1%の所得が全国民所得の17%を占め、富裕層20%の所得が全体の80%を占めているというのですから、さすがのアメリカ人も格差是正を望む声が高まっているようです。

この記事を読みながら、旧約聖書エゼキエル書の34章に描かれている光景を思い起こしました。
16節から22節までを下記に引用します。

「 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、
     傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。
 しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う
 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。
 わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。
 お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、
     自分たちは澄んだ水を飲みながら、
     残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。
  わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、
     足でかき回した水を飲んでいる。
 それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。
 わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。
 お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、
     角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。
  しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。
     そして、羊と羊との間を裁く。」

"Stay hungry, Stay Foolish." [雑記]

先日亡くなったSteve Jobs氏の記事です。

Jobs氏は私よりも10歳年上でApple社が脚光を浴び始めた頃に、私は入社しました。
Appleは初めてFloppy Diskをそれまでのソフトジャケットの5.25"から3.5"のハードシェルを採用したメーカです。私の最初に手がけた商品がその3.5"FDだったので、とても親近感があったのを覚えています。また開発部署のPCはほとんどがMacでした。 また退社する前に扱った商品がiPhone関係ということで、Jobs氏とは何となく不思議な縁を個人的に感じています。

上の記事の中で惹かれたのは、会社の成功と共に周囲の人々が金によって人が変わっていくのを見て、自分は「金で人生を台無しにされないぞ」と語っているエピソードです。Jobs氏がどこまでも純粋に技術的な理想を追い求めていたことが分かります。

彼が2005年にスタンフォード大学の卒業式で語ったスピーチが最近話題になっています。特に最後のメッセージが "Stay hungry,Stay foolish."でした。

このスピーチを知ったのは2006年か7年だったと思います。当時の上司がアメリカの友人から入手したといって個人訳したものを転送してくれたのです。当時も感動しましたが、改めて今回Youtubeで生のスピーチを聴くといいですねえ。彼の人生がその言葉に嘘がないことを物語っています。

このスピーチで、Jobs氏は三つの話をしていますが、どれも胸を打つものです。
ここでは一つだけ触れるとすれば最初の「点と点をつなぐ話」でしょうか。
彼の生い立ちからApple社創設までの歩みの中で、無関係に見えるような出来事が、実は後から振り返るとつながっているという話です。

「未来に先回りして点と点をつなげることは出来ない。君たちに出来るのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから、点と点がいつか何らかの形でつながると信じなければならない。」
そう語るJobs氏には無駄な経験などはないのだ、と語っているようです。

私の人生の中でも、やはり同じような思いがあります。
色々と回り道したり躓いたりしたことがありましたが、振り返ってみて、それらは全て今の私に必要なことだったと心から思うのです。

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