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イースターの色つきヒヨコ [雑記]

四旬節もいよいよ大詰め。明日は棕櫚の主日で受難週を迎えます。
気が早くも、一足先にイースター用の色つきヒヨコが売り出されているというニュースです。
色つき(ラッピング)卵は良く知られていますが、色つきヒヨコとは初めて聞きました。
でも可愛いですね。

「ソンブレロ」姿のローマ教皇 [雑記]

84才になるローマ教皇が、今週メキシコやキューバを訪問しましたが、上の写真はなんとソンブレロをかぶったベネディクト16世です。このサービス精神はすごいですねえ!
私も仕事でメキシコに行ったことがありますが、カトリック教徒の多いメキシコにおいて、今回の教皇訪問は大きな影響を与えたのではないのでしょうか。良くも悪くも霊的指導力と感化力がありますねえ。

三月いろいろ [雑記]

ここのところ東京は急に暖かな日が続いていますが、今日は風が強いですね。
いやはや、ブログの方が全く今月はおろそかになってしまいました。
メチャクチャ忙しかった訳では無いのですが、なんやかんやあって、ついサボってしまいました。どれもブログに紹介したかった内容ばかりでしたが書きそびれてしまいました(^_^;

ざっくりと紹介いたしますと下記の通りです。

3/1 神学校卒業聖餐礼拝&祝会
3/2 世界祈祷日(於:東京教会)
3/4 按手式(於:東京教会)
3/5 宣教研修面接(於:市ヶ谷)
3/7 聖週間打ち合わせ(於:神学校寮)
3/11 八王子教会
    311合同祈祷集会(於:四谷聖イグナチオ)
3/12 宣教Visionセンター例会(於:小石川)
3/15 エキュメニズム研究会(於:早稲田)
3/18 本郷教会
3/20 東教区総会(於:東京教会)
3/23 娘の小学校卒業式
    卒論打ち合わせ
3/25 武蔵野教会
3/26 ボイス・トレーニング
3/27~29 神学生交流プログラム(於:カトリック鎌倉黙想の家)

この間の隙間をぬって本を二十数冊読みました。これはまた月が変わったらまとめてご紹介致します。


ブログ開設1年が経ちました [雑記]

早いもので、このブログを開設してから2/25で一年が経ちました。

ぼつぼつと200件弱の投稿をしてきましたが、お陰様で80,000頁を超えるアクセスを頂きました。
読んで下さる方の多くは、家族や母教会、実習教会でお世話になった方などですが、それ以外にも多くの方が読んで下さっているようで感謝です。<m(__)m>

特に昨年は、ブログ開設直後に3.11の震災があったり、宣教研修があったりと様々な経験が与えられた一年でもありました。
今年は神学校の最終学年として、牧会に出るための最終仕上げをしていく年になります。特に卒業論文を通して、これまで学んできた神学を自分の血肉化していく研鑽の時です。この春休み中に、その下準備を十分に行って新年度に臨んでいきたいと思います。


動物の「共感」について [雑記]

とても興味深い記事です。
動物が生まれながらに「互恵、公平、共感、慰め」に関して社会的な性質を持っていることを示しており、「共感のない人間の道徳はあり得ない」と、この研究者は説明しています。
聖書のローマ人への手紙8章22節 「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」というこ言葉を思い起こしました。
この研究者は同時に、この共感は「仲間内」にだけ見られるとしています。小さな仲間内の発想から、どれだけ自由になれるかが、グローバル化した現代では問われています。

インドの女児殺しの習慣 [雑記]

なんとも痛ましい習慣です。

イギリスでも終活? [雑記]

日本では、伊丹十三の「お葬式」以来、タブー視されてきた葬儀について、多様な考え方がオープンになってきたような気がします。最近では「おくりびと」や「悼む人」なども話題になりました。
昨年は、以前ブログでも紹介した「エンディング・ノート」などのように、就活ならぬ「終活」という言葉が生まれました。今やっているTVドラマでは、 「最高の人生の終わり方 ~エンディング・プランナー~」という葬儀屋さんを主人公にしたものまであります。
いずれにしても、中世の修道士の合い言葉でもあった「メメント・モリ(汝の死を覚えよ)」、という言葉は、逆説的に、現在の生き方がそのままで良いのか?という問いでもあります。

「アウシュビッツ」を知らないドイツの若者 [雑記]

ドイツの若者の20%がアウシュビッツを知らないという、驚きのニュース。
戦後70年近く経てば、仕方がない気もするが、日本の戦争責任の受け止め方の浅薄さと違って、ドイツは自虐的なまでに戦争責任に拘り続けてきただけに、このニュースは重い。。。
 
翻って日本の若者は、ヒロシマ、ナガサキは知っているだろうが、自国が犯した戦争の実態を余りにも知らなすぎるのではないだろうか。西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が「荒野の四十年」と題して語ったように、「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」のではないだろうか。
 
今回のフクシマも、ヒロシマ、ナガサキを真摯に受け止めていたならば、このような惨事を生み出さなかったであろう。これは明らかに人災である。
 
問題はこれからであろう。フクシマを徹底的に検証することが、第二のフクシマを生み出さない唯一の道なのだから。
 

「時代遅れの資本主義」からの脱却 [雑記]

今年もダボス会議が開幕されます。
ソニーの出井会長が出席していたのが嘘のように、現在ソニーの業績は低迷していますね。
先日もソニーとパナソニックが格付けを下げられましたし、日立は薄型TVの自社生産から完全に撤退するとのこと。日本の家電メーカーの苦悩が伺えます。
遅ればせながら、と言うのでしょうか、経済リーダーがようやく現在の資本主義が狂っていることを認め、変革が必要なことを悟ったようです。バフェット氏は次の様に述べています。
「われわれは全面的な倫理感の断絶があり、過剰レバレッジに陥っており、未来に投資することをおそろかにし、社会の統一性を弱体化させ、そして未来の世代からの信頼を完全に失う危険にさらされている」
カール・マルクスは、19世紀に既に資本主義の罠を見抜いていました。
「事物世界の価値増大にぴったり比例して、人間世界の価値低下がひどくなる」とマルクスは語りましたが、現在の金銭・物質至上主義は、人間から人格を奪い、無名化して取り替え可能な機械の歯車にしてしまいました。
1/29の福音書の日課はマルコ1:21~28 「汚れた霊に取り憑かれた男を癒す」箇所です。
説教を考えながら、この世を支配しているサタンの力がいかに大きいものであるかを考えさせられます。しかし、「権威ある者」としてこの世にこられたキリストこそが、サタンによって罪の支配に閉じ込められている私達を解放して下さるのです。

ロシア正教会の寒ーい公現祭 [雑記]

公現祭(エピファニー)は正教会にとって、クリスマスに相当する大切なものですが、記事にあるように厳寒の中、水垢離のようなことをするそうです。この関連の他の写真では、プールのようなところで、大勢が飛び込み姿勢をしており、水中に投げた十字架を最初に拾った人は、今年一年元気に過ごせると載っていました。日本の神事でも似たようなことがありますよね。
ところ変わって、宗教も違えど、克己的修練の風習は残っているんですねえ。
私は飛び込めと言われても。。。、サウナの後なら。。。いけるかな? (^_^;

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