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聖公会神学院との交流会 [神学校]

先週の週末から色々立て込んでいて、更新出来ませんでした。

土曜日は石居正巳先生の召天1周年の記念会が武蔵野教会で行われ、司式の補佐をさせて頂きました。日曜日は武蔵野での最後の主日礼拝を守り、礼拝の中でフルート三重奏による讃美歌伴奏をさせて頂き、良い思い出となりました。午後は島田療育園での礼拝があり、トッチンやヒロノブさんに暫しのお別れを告げてきました。島田の兄弟達には本当にディアコニアの意味を考えさせて頂く機会となり感謝です。

月曜日は午後3時から、世田谷区用賀にあります聖公会神学院 http://www.ctc.ac.jp/ にお邪魔してきました。

聖公会神学院と日本ルーテル神学校は年に一度七夕の季節に交流会を開催していて、昨年はルーテル側にお迎えをしたので、今年は聖公会にお邪魔することとなりました。

ご存じの方もおられると思いますが、アメリカにおいてはルーテル教会(ELCA)と聖公会がフル・コミュニオンを実現させました。言い換えれば「職制の交換」が実現したということで、講壇(説教)と聖礼典(洗礼・聖餐)を相互に行うことが可能となったのです。

そのことが正式合意文書として、1992年に「ポルヴォー宣言」、そして1999~2000年にかけて「共に宣教の使命に召されて」 (Called to Common Mission、略称CCM)が発行されたのです。 これらの文書は日本語でも訳書が出ていますので、是非ご覧下さい。(『共同の宣教に召されて -聖公会・ルーテル教会の対話とヴィジョン-』教文館)

日本ではアメリカでなされたような正式な合意文書はありませんが、草の根的な交流を進めるためにもお互いの神学校の交流が生まれてきたのです。

プログラムは、先ず自己紹介から始まり、3.11の震災に対する各教派の援助活動の報告と質疑応答が行われました。そして神学院のチャペルで共に聖餐礼拝に与りました。司式はルーテルの河田チャプレン、説教は聖公会の広谷司教(校長)によって行われ、下の写真は説教をされている広谷先生と、礼拝堂前にあるマリア観音です。



礼拝の後は、お楽しみの懇親会があり、両校の教職・学生共に交流を深めることが出来ました。

神学生のうちにこのような交流を行うことで、地方の現場に赴いた時にも、自然にエキュメニカルな交流を図ることが出来るようになると感じています。

聖公会神学院の皆様、ありがとうございました。
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コメント 4

ツハ

初めてコメントをさせていただきます。
時々、貴兄のブログを読ませていただいております。将来に備えて学びの日々の祝福を祈ります!
私もブログ日記を書き続けております。検索文字は「津波真勇」です。ご都合よろしいときもお読みいただければ嬉しいです!
by ツハ (2011-07-13 17:02) 

ヨシ

津波先生、初めまして。コメントありがとうございました。
先生のブログも早速拝見させて頂きました。毎日、丹念に更新されていて内容も硬軟絶妙のバランスで、大変参考になりました。
これからもちょくちょく拝見させて頂きたいと思います。
また、先生の沖縄弁がいいですねえ。一つご教示頂きたいのですが、沖縄には、本州でいうところの「可哀想」という言葉がなく、「肝苦さ」という言葉があるとどこかで聞いたのですが、本当でしょうか? 
この「肝苦さ」という言葉は、ギリシア語のスプレンフニゾマイに通じる痛みを伴う表現を想像するのですが、いかがでしょうか? お手すきの時にでもお教え頂ければ幸いです。
by ヨシ (2011-07-13 20:41) 

ツハ

こんにちわ!
早速の返信コメントを嬉しく読ませていただきました。私がブログ日記に「沖縄弁」を書くのは、或いは私の愛娘が読むであろうことを想定していることと故郷の人たちも含めて海外(日本、北米・南米、その他の諸国)在住のウチナ~ンチュ(沖縄人)を配慮してのことです。

「チムグルサ」(肝苦さ」は我が内臓の痛みです。これに関してはカトリック教会の某神父が自著の中で、灰谷健次郎作品の「太陽の子」を引用しながら、こう著述しておられます。「~前略~思わず胸がキューとなって、いても立ってもいられなくなり、その人の隣人となってしまうような、この根源的な愛の体験を表わす言葉として、はからずも沖縄語の中に極似した表現があったのである。~後略~」長いコメントになってしまいました。ご容赦を・・・。貴兄のこれからの取り組みの広がりの中で沖縄の言葉に込められた共生の心を語り伝えていただけることを期待し、嬉しく思います。
by ツハ (2011-07-14 13:07) 

ヨシ

津波先生、「チムグルサ」のご説明ありがとうございます。やはりそうだったんですねえ。言葉は人々の歴史に密着したものですから、ウチナ~ンチュの思いの一端を垣間見させて頂いた気が致します。
ブログでの沖縄弁には、娘さんやディアスポラのウチナ~ンチュ向けの思いが込められていたんですね。私も家族や母教会、お世話になった教会の方々への近況報告を込めて書いているのでよく分かります。
明日からは宣教研修で7ヶ月間、大分で実践的研修をさせて頂く予定です。
これからも、どうぞ宜しくお願い致します。
by ヨシ (2011-07-14 20:05) 

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