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久しぶりに映画を二本 [映画]

11/1、2と葬儀があったこともあり、昨日は祝日ということで諸集会もお休みだったので、一日骨休めをさせて頂きました。普段、部屋にこもりっきりのことが多いので、昨日は映画を二本見に出かけました。

一本目は『黄色い星の子供たち



1942年夏、パリで行われた、史上最大のユダヤ人一斉検挙をによって、家族と引き離されながらも、過酷な運命を懸命に生きた子供達の真実の物語です。

この史実はフランス政府によって50年間封印されてきました。それが1995年になって当時のシラク大統領が公に政府の責任を認め、明らかにされました。

ドイツにしろフランスにしろ、時間がかかるにしろ、このように自分たちの過去の過ちを公に表し、後世にその苦い教訓を伝えようとするところが、大切だと思います。一方の日本政府(というか日本世論)は、時間の経過と共に水に流そうとしているかのようです。ここに歴史の支配者である絶対他者、神を知っているかどうかの違いが顕著に表れると思うのです。

この映画は子役が秀逸ですし、赤十字の看護士アネット役が光ります。



二本目は『エンディングノート』です。



高度成長期を支えた日本のサラリーマンの典型的なお父さんが、退職後に第二の青春を謳歌しようとした矢先に末期ガンであることが分かります。

このお父さんのユニークさは、残された時間をどう生きるか、エンディングノートという覚え書きを作って家族との時間を大切にすごしてこの世を去って行く、その人生の終わり方にあります。

「営業は段取りが命」を信条にしてきたお父さんが、自分の最期にも段取りをつけようとしている、その姿に、同じくサラリーマンをしてきた私も、悲喜こもごも共感を覚えます。

「就活」ならぬ、「終活」。就活はしないですませられる人もいるでしょうが、終活だけは全ての人に訪れる物語です。

今回、葬儀を通して改めて感じたのは、信仰生活は究極の終活であると言うことでした。

ご遺族の身内に禅宗のお坊さんがいらっしゃいましたが、式後の会食で、キリスト教式の葬儀は良いものですね、と仰っていました。特に讃美歌が素晴らしい、聞いた時に鳥肌が立ちました、とその感想を述べて下さいました。この世の別れが、終わりではない、再会の希望が与えられているというのは本当に残された者達にとっての大きな慰めに違いありません。

映画『神々と男たち』を見て [映画]

久しくBlog を更新していなかったので、書きませんでしたが、5月に『神々と男たち』という映画を見ました。(映画の詳細は公式HP参照  http://www.ofgods-and-men.jp/)        

       

 内容は1996年にアルジェリアで実際に起きた武装イスラム集団によるフランス人修道士誘拐・殺害事件を映画化したものです。命の危険に恐怖し、逃げ出したい気持ちとの間で揺れる修道士たちの心の葛藤を描いた作品で、多くのことを考えさせられました。

修道院は、アトラス山脈の山あいにあり、修道士たちは、厳律シトー会(トラピスト会)に所属し、聖ベネディクトの戒律に厳格に従いながらも、宗教を超え、イスラム教の人々、貧しき人々への奉仕に捧げられている様子が、淡々と労働と礼拝の繰り返しの中に描かれています。
   
先ず、修道士達の生活の美しさです。しかし浮き世離れした修道生活ではなく、イスラム教徒達の住む集落にそっと寄り添うように生きているのです。修道士達は村人を癒す医師であり、村の娘の相談相手であり、農作業を始めとする労働者として働いています。しかし、それと同時に、祈り、礼拝をするその姿と自然に調和しているのです。

修道士達は、イスラム教徒の祭りにも招かれ、そこに参加し、共にその時を喜び、分かち合います。

そこには気負った宣教態度はみじんも見られません。確かに改宗者を生むことが宣教というのなら、修道士達がそこにいる理由はないのかもしれません。しかし、村人は修道士達の中に神を感じていたはずです。

修道士達が修道院から離れようと迷っていた時、村人に「われわれは枝にとまった鳥、いつかは飛び立つ」と語ります。しかし、村人が返した言葉は、「わたしたちこそ枝にとまった鳥なのです。」という言葉でした。そこにはキリスト教の「土着化」とは、どういうことなのかを問われた気が致しました。

 そして、いよいよテロリストの危機が間近に迫った夜、万感の思いを込め修道士たちが盃を交わす“最後の晩餐”のシーン、不意を突いて流れるチャイコフスキー作「白鳥の湖」の耳馴染みの旋律に、これほどまでに胸締め付けられようとは思いませんでした。

 タイトルの『神々と男たち』は詩篇82の6~7節からとられています。

「私は言う  
あなた方は皆 神々である  
 しかし人間として死ぬだろう。」

 伝道者として出た後に、もう一度見直したい映画です。


映画『アメージング・グレース』を観て [映画]

今日から四月ですね。

東京は気温も上がりコートが要らない陽気となりました。

毎月一日は映画の日ということで、どこでも千円で観ることが出来ます。そこでこの日を待って、今日は『アメージング・グレース』を銀座まで観に行ってきました。
http://www.amazing-movie.jp/




この曲は、クリスチャンでなくても知っている有名な曲ですが、作詞をしたのは奴隷船の船長をしていたジョン・ニュートンです。舞台は18世紀のイギリス。主人公であり英国の若き政治家ウィルバーフォースは、ニュートンから直接奴隷船の悲惨さと罪を知らされ、孤軍奮闘しながら英国議会で奴隷制撤廃のために尽力します。詳細は観てのお楽しみですが、信念を支える歌の存在は大きなものがありました。

 教会の礼拝に、讃美歌が必要なように、また聖書に詩篇があるように、詩や音楽は人間の琴線に触れる重要な働きを持っていることを改めて感じました。 

映画の台詞の中に、「露に濡れた芝生に横になり、日差しを浴びた蜘蛛の巣を見ることに喜びを感じる」という一節がありました。失言を繰り返している某都知事は、花見や宴会の自粛を語っていますが、震災被害者への救援・支援と、それとは別の問題でしょう。馬鹿騒ぎは、震災がなくても慎むべきでしょうし、自然を感謝し楽しむことは、このような時だからこそ捉え直してみるべきことなのかもしれません。

東北の春は、いつもより遠く感じますが、それでも必ずやってきます。


言葉の持つ力 『英国王のスピーチ』 [映画]

今日は吉祥寺に用事があったので、珍しく妻と一緒に出かけ、帰りに観たかった映画を観てきました。アカデミー賞で作品賞を受賞した「英国王のスピーチ」です。http://kingsspeech.gaga.ne.jp/

 英国王のスピーチ

 ネタバレになるといけないので、内容には触れませんが、英国王として語る言葉の重さ、力、励まし、勇気、希望などを感じました。先ほど投稿した某都知事とは真逆ですね。言葉によって人は力も与えられ、言葉によって傷つけられるという両面性を痛感した日となりました。吃音に苦しみ、人前でスピーチが出来ないジョージ6世の姿が、神の言葉を求めて苦しむ説教者の姿と二重写しに見えました。特にラストで描かれる、対独開戦に際してのスピーチは、私の好きなベートーベンの交響曲7番が流れる中、感動的でありました。 是非、機会があったらご覧頂きたい映画です。

 


映画『アレクサンドリア』を観て [映画]

昨日からFacebookを始めました。

どういうものかよく分からずに始めたのですが、タモリの「笑っていいとも」みたいな感じですね(笑)。何かこう”友だちの友だちは皆友だちだ”みたいなノリがありますね。教会関係者だけでなく、以前の仕事で知り合った海外の知人も登録していたのを発見して喜んでいます。

また、今回の震災に関しても多くの方が、このようなネットのつながりを通して、多くの励ましのメッセージを送って下さっていることも知ることが出来ました。こちらも少しづつ慣れていきたいと思っています。
 


 

さて、今月観た映画に『アレクサンドリア』があります。

これは4世紀のローマ帝国末期、キリスト教が事実上ローマ国教化された時代に、エジプトのアレキサンドリアが舞台となっています。七十人訳聖書が収められた場所としても有名な図書館があったところです。

主人公である天才女性天文学者ヒュパティアは実在した人物とのことですが、学問と宗教の不毛な対立、そして宗教間対立における不寛容さと暴力の問題が鋭く提起されています。ヒュパティアは宗教問題でいがみ合う弟子達に「世の中で何が起きようとも、私たちは兄弟です」と諭します。そしてその信念に自ら殉じていくことになるのです。

これが4世紀の話としてではなく、9.11に象徴されるように現在でも実際に繰り返されているところに人間の愚かさと罪深さ、そして弱さと悲しさを感じます。

視覚的には学者・異教徒・支配者階級側を白の衣装、そしてユダヤ・キリスト教徒を黒の衣装で描き鋭いコントラストを与えています。単純にどちらが善でどちらが悪かなどと戯画化していないところが、この映画の深みだろうと思います。

ピラトがイエスに問うた「真理とは何か?」という問いを、改めて思い起こさせられた次第です。

非常時ではありますが、興味のある方は、是非ご覧下さい。

2月に観た映画 [映画]

 今日から3月ですね。先月は久しぶりに映画館で2本の映画を観ました。一つは「ヤコブへの手紙」というフィンランドの映画です。盲目の老牧師ヤコブへと届く信徒からの様々な相談の手紙を通して、牧会とは何かということを深く考えさせられる映画でした。また見終わった後に、色々な思いがわき上がってくる余韻深さと、フィンランドの素晴らしい自然や教会が印象深い作品です。好評につき、上映期間が延長されていますが、是非お早めにご覧下さい。http://www.alcine-terran.com/tegami/

 2本目は、北海道家庭学校の創設者である留岡幸助の生涯を描いた「大地の詩」です。監督は山田火砂子、留岡幸助役を村上弘明、妻夏子を工藤夕貴が演じています。今回は神学生の友人と一緒に2/18に行われた試写会を観に行きました。奇しくも当日は丁度日本アカデミー大賞の発表の日と重なりましたが、商業映画ではないこのような映画こそ多くの人に観てもらいと、舞台挨拶で村上弘明が語っていました。私も全く同感です。今のところ、東京以外では北海道と岡山でしか上映が予定されていませんが、自主上演のような形で今後各地で上演されると思いますので、是非足をお運び下さい。http://www.gendaipro.com/tomeoka/index.html


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