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10/9の説教黙想から [その他]

10/9のルーテル教会の福音書の日課は、マタイ20:1~16にある「ぶどう園の労働者の譬え」です。
今回は初めて日田教会で説教をさせて頂くのですが、明日がルーテル幼稚園の運動会ということもあり、明日から泊まりがけでお邪魔することになりました。

今日は、説教黙想で与えられた考えを、少しご紹介します。
9節の箇所です。「そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。」

この最後の者達は、報酬を得る約束のない者、権利を主張出来ない者、一日仕事が与えられず弱く疎外された者達でした。
この箇所が語源となった英語のイディオムで"(at the) eleventh hour"というのがあります。「土壇場、ぎりぎりで」という意味です。この言葉に表されるように、救いの出来事は、人間的な状況では絶望的と見える土壇場で行われる神の業なのです。

話は変わりますが、黙示録の21:13には、東西南北に各三つの門があり、合計で十二の門が新しいエルサレムにはあることが記されています。これは労働者が働いた、朝6時から夕方6時までの十二時間と考えることが出来ます。朝日が差し込む東の門からは、最初の者達が御国へと招き入れられたことでしょう。同じように、9時、12時、15時の者達も入り、そして最後の者達は西日がかかる西門から、同じように新しいエルサレムの都へと招き入れられたのです。
入る門は異なっても、キリストと出会う時期が異なっても、みな主の御許へと招いて下さる。それが全ての者に与えられた一デナリの意味だと思うのです。


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