豊後府内のザビエル像 [雑記]
現在、宣教研修をしている大分教会は大分県庁のすぐ近くにあります。
その県庁前の通りには、遊歩公園があります。これはかつて府内城があった城址公園から南に向かう長さ約400m、幅約10mの南北に細長い公園で、遊歩道に沿って、十数体の彫刻、記念碑が点在しています。特に中世の府内(現在の大分市)に開花した南蛮文化を記念するものも多いのが特徴です
城址公園はワンコの散歩コースとなっており、野村先生のお宅の二匹の娘達も毎日元気に散歩に行っています。(^_^)
その最も城址公園に近い所にある、フランシスコ・ザビエル像を今日は紹介致します。
バックには世界地図が描かれており、日本までの航路が示されています。
ザビエルは1549年に日本に到着しますが、大分(豊後)にやってくるのは1551年のことでした。そこで大友宗麟と出会い、活発な宣教活動を行うことが出来たのでした。
この彫像の作者は佐藤忠良で1969年に作られたものだそうです。
佐藤忠良といえば宮城県の出身で、宮城県美術館には佐藤忠良記念館も併設されています。いやーこんな所で、再び佐藤忠良の彫像を見ることが出来るとは思いませんでした!
その県庁前の通りには、遊歩公園があります。これはかつて府内城があった城址公園から南に向かう長さ約400m、幅約10mの南北に細長い公園で、遊歩道に沿って、十数体の彫刻、記念碑が点在しています。特に中世の府内(現在の大分市)に開花した南蛮文化を記念するものも多いのが特徴です
城址公園はワンコの散歩コースとなっており、野村先生のお宅の二匹の娘達も毎日元気に散歩に行っています。(^_^)
その最も城址公園に近い所にある、フランシスコ・ザビエル像を今日は紹介致します。
バックには世界地図が描かれており、日本までの航路が示されています。
ザビエルは1549年に日本に到着しますが、大分(豊後)にやってくるのは1551年のことでした。そこで大友宗麟と出会い、活発な宣教活動を行うことが出来たのでした。
この彫像の作者は佐藤忠良で1969年に作られたものだそうです。
佐藤忠良といえば宮城県の出身で、宮城県美術館には佐藤忠良記念館も併設されています。いやーこんな所で、再び佐藤忠良の彫像を見ることが出来るとは思いませんでした!
2011-08-12 18:08
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0