「シメオンの讃歌」に差し込む光 [教会関係]
今日は一日、雨が降ったりやんだりの肌寒い日となりました。
昨日に引き続き、午後からはH兄の告別式がありましたので、神学校の授業は1限目の説教学演習だけ出席し、午後は欠席する旨を告げて、すぐに武蔵野教会に向かいました。
告別式はとても心に残る良い式で、教会員の方を中心に70名ぐらいが参列されました。
今回の前夜式、告別式の式次第ですが、H兄が生前から準備されていたものでした。ですから、讃美歌や聖書の箇所、そして略歴など全てが整えられていたのです。実際に司式や説教をする先生も大変助かりますが、残されたご家族にとっても、大きな慰めとなったことと思います。
昨日、H兄はルーテル教会の式文、特に罪の告白と赦しに大変心動かされたということに触れましたが、告別式で読ませて頂いた詩篇の箇所は、ダビデの罪の告白で有名な51編でした。礼拝の中では奉献の部で歌われる箇所でもあります。
ご自分の告別式で詩篇51編を、指定されるということは、本当にH兄の生涯を通して、罪と戦い、福音に生かされてきたという力強い証しであったと思います。
また、式の最後の部分でヌンクディミティス(シメオンの讃歌)を大柴先生が歌われましたが、丁度その時に、聖壇に置かれた棺に光が差し込んできたのを見た時に、鳥肌が立つような感動を味わいました。今日は、雨が降ったりやんだりで、日が差すことは少なかったのですが、正にキリストにまみえたシメオンの歓びが、天に召されたH兄の歓びと重なるかのように、光が差し込んできたのです。
このことは、棺の横にいた私だけが気づいたことだったようですが、本当に忘れがたい感動を与えて頂いたことに感謝です。
「いま私は、主の救いを見ました。
主よ、あなたはみ言葉の通り、しもべをやすらかに
去らせてくださいます。
この救いは、もろもろの民のために、
お備えになられたもの、異邦人の心を開くひかり、
み民イスラエルの栄光です。」
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