留守番しながら「説教黙想」中です [雑記]
今日は娘と二人お留守番をしています。
妻は朝から市川教会に、東教区の女性会長会に出席するために金賢珠姉と一緒に出かけました。一昨日は、大森姉に誘われて、東京老人ホームにボランティアにも行ってきたので、妻も最近は私よりも積極的に活動しています。
これも娘が大きくなって手がかからなくなったのと、昨年高齢で亡くなったレインの介護から解放されたこともあるでしょう。
牧師は神学生として、色々と研鑽を積んで準備しますが、牧師婦人はそのようなものがないので、妻にとってこのような形で色々なことを経験していくことはとても貴重な学びとなることでしょう。
今日は気温もぐんぐん上がって、娘は部屋でTシャツになっています。
そして、普段はケージの中のウサギのロクを、二階の部屋に放して思い切り遊ばせてあげることにしました。普段、あまり運動していないので、ひとしきり遊ぶと下の写真のように、すぐにバテて伸びてしまっています(^_^)。
一方、私の方は、5月8日に予定している説教の黙想をしています。
復活後のイエスが疑うトマスに現れる箇所です。受難節の中で、この復活後の出来事を黙想することは、とても大切なことだと改めて感じています。福音書に出て来る人々にとって、受難から復活までの出来事は連続した出来事であったからです。
ともするとすぐに、何をどう語るか考え、あまりにも早く説教に行こうとしてしまいがちですが、十分に時間をかけ自分の中で反芻するように、御言葉に思いを巡らす黙想は、手間暇をかけて作る手料理に似ていますね。
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