「主の祈り」と「わたしの祈り」 [読書]
「主の祈り」を引き続き学んでいます。
先日読んだ本(『主の祈り イエスと歩む旅』 平野克己著)の一節に次のようなものがありました。
「主の祈りは実に祈りにくい祈りです。祈りの言葉のひとつひとつが、わたしたちの自然な心の動きに逆らってくるせいかもしれません」
そして平野先生はまた、主の祈りが次のような祈りだったらもっとなじみやすかったでしょうと語っています。主の祈りを括弧の中に記しますので比較しながら読んでみて下さい。
「 そばにいてくださるわたしの神よ
(天にまします我らの父よ)
わたしの名を憶えてください
(み名をあがめさせたまえ)
わたしの縄張りが大きくなりますように
(み国を来たらせたまえ)
わたしの願いが実現しますように
(みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ)
わたしに一生糧を与えてください
(我らの日用の糧を、今日も与えたまえ)
わたしに罪を犯す者をあなたが罰し、わたしの正しさを認めてください
(我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ)
わたしが誘惑にあって悪におぼれても、わたしだけは見逃してください
(我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ)
国と力と栄えとは、限りなくわたしのものであるべきだからです
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり)
アーメン 」
いかがでしょうか?
文字通り天地鳴動したような震災の中で、私たちはこの主の祈りの厳しさに生きていくことを、改めて問われているような気がします。
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