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「我らの日毎の糧を今日も与え給え」 [読書]

ここ東京でも、震災の影響で食料や飲料水の確保が難しくなってきています。といっても、被災地に比べれば雲泥の差で、三度の食事を頂けることに改めて感謝の思いです。

今週の水曜日は昼間に予定されていた「いとすぎ会」の聖研と夜の聖研祈祷会が、大事をとって中止となりました。いとすぎメンバーの平均年齢は70代ですので、無理は禁物です。被災地のために共にそれぞれの家で祈りを合わせられればと思います。

前にも触れましたが、今回のいとすぎ聖研では「主の祈り」を学ぶ予定でした。その準備のために、改めて主の祈りに関する本を集めてみると写真にあるようなものが手元にありました。それぞれ味のある本ばかりで甲乙つけがたいのですが、左から三番目のウィリモンのものと、左端の『主の祈りのユダヤ的背景』という本を特に興味深く読みました。

 

また、先月の教職神学セミナーの講師としてお招きした平野克己先生の『主の祈り イエスと歩む旅』もコンパクトながら、黙想に満ちた良いものでした。後書きを見ると「信徒の友」に連載されたものに手を加えてまとめたものとのことでした。

今回の震災を体験して身につまされて感じたのは、主の祈りの「我らの日毎の糧を今日も与え給え」という祈りの切実さでした。私たちは日毎の糧を、すぐに食料に結びつけてしまいますが、ルターは小教理問答の中で次のように語っています。 

「それは肉体の栄養や、生活になくてはならないすべてのものです。

 たとえば、食物と飲み物、着物とはきもの、家と屋敷、畑と家畜、金と財産、

 ……よい政府、よい気候、平和、健康、教育、名誉、またよい友だち、

 信頼できる隣人などです。」

 

これらの内容は、震災前の私たちには当たり前に思えたものでしたが、今となっては、かけがえのない恵みであり贈り物であることが分かります。そして主の祈りは「我が糧」ではなく「我らの糧」を祈り求めることを教えています。被災地で苦しんでいる人達に対して、私たちに出来ることが何かを祈り求めて過ごしたいと思います。


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